主な活動内容
デビュー50周年を迎えたプロレスラー藤波辰爾(ふじなみたつみ)が、プロレスやプライベートを楽しみつくす姿を発信する公式YouTubeチャンネル。 プロレス人生50周年を越え、NEXT50となる70歳の年に満を持して挑戦する、藤波辰爾 若手育成プロジェクト『DRAGON STADIUM』はこちらのチャンネルで配信。 🔥配信内容の予定 ━━━━━━━━━━━━ ・ 『ドラゴンスタジアム』の配信 ・ 過去の対戦相手やプロレス界のレジェンド達との対談 ・ レジェンド藤波辰爾が振り返る!ベストバウト解説! ・ 今だから語れる・・・あの頃のプロレス界の裏話 ・ TVやメディアでは話せないYouTubeならではのトーク ・ 知られざる藤波辰爾のプライベートシーン ・ お城巡りや釣りなど、全力で趣味を楽しむ動画 ・ その他、さまざまなコラボ企画やコラボイベント 🔥藤波辰爾プロフィール ━━━━━━━━━━━━ 1953年12月28日生まれ。大分県東国東郡武蔵町(現:国東市)出身。 愛称は【ドラゴン】。 1970年6月、16歳で日本プロレスに入門。翌71年5月9日デビュー。 72年3月、新日本プロレス旗揚げ戦の第1試合に出場。同年12月に開催された第1回カールゴッチ杯で優勝し、75年6月に海外遠征へ出発。欧州や米国、メキシコ各国を転戦。 78年1月にWWFジュニア・ヘビー級王座を獲得した。 81年末にヘビー級転向を宣言。飛龍十番勝負を戦い続け、WWFインターナショナル・ヘビー級王座をも獲得。翌82年10月にメキシコ遠征から帰国した長州力に挑発される形で、ライバル抗争に突入。両雄の戦いは「名勝負数え唄」と呼ばれた。 95年10月、自主興行【無我】を旗揚げ。99年6月からは5年間に渡り新日本プロレスの代表取締役社長を務めた。 06年に新日本を退団し、【無我ワールド・プロレスリング】を旗揚げ。 08年1月より団体名を【ドラディション】へと変更した。15年3月には日本人選手2人目となる (1人目はアントニオ猪木) 米国WWEの殿堂入りを果たした。プロレス生活50年を迎えた現在も現役選手として活躍中。 #藤波辰爾 #プロレス #ドラゴン #ドラゴンスタジアム #ドラゴンちゃんねる #ドラディション #tatsumifujinami #格闘技
YouTube チャンネル登録者数
プロフィール
- 生年月日
- 不明
- 性別
- 不明
- 活動開始
- 不明
- 出身地
- 不明
- 所属
- 不明